手術の日

こんばんは、Shuhey8 です!

明日は、久々に外出できるのでテンションが上がり、病棟内のフロアで5周以上も

歩行の練習をしやした。

まあ、外に出たらこんなもんやないけどね。笑

東京の不味い空気でさえ、今は美味しいと思えるほどにまでなってしもうたから、

人は変わるもんだなあと感じております。もっと変えるべきとこはあるのに。。。


今日は手術当日の話を書きたいと思います。

2018.09.13 手術の日

予定時間:PM 13:00〜


前日のAM 00:00〜絶食が始まり、飲み物は当日の〜AM 09:00までだった。

オカンは既に東京へ来ていたが、

オトンは前日仕事を終え、その足で東京へ向かってきていた。

AM 9:00に両親が来て、部屋で少し話した後、ロビーで呼ばれるのを待って

いました。(大部屋だったので)

それにしても、早く来すぎやと思っていたけど、両親も気持ちはソワソワしてたんかな

とか、僕の気持ちを紛らわすために来てくれたんかなとか、

今になってなんなとなく感じます。


PM 13:00〜の予定でした、前の手術が長引いており、PM 14:40頃に呼ばれて、

車椅子に乗り換えて、看護師と両親と手術室へ向かいました。

手術室の前で両親とはバイバイしたが、オカンが目にうるうると来ているなと感じ、

自分もつられそうでしたが、

「行ってくるわ」と一言。

それで看護師と中へ入って行きました。

(内心は、「あぶねえ、つられ泣きそう!」って。笑)


中に入ってからは、手術看護師に交代し、手術室へ入りました。

ほんまにドラマで見るような光景で、大きい照明が2〜3台あり、

車椅子から手術台へ移った。


そして、今まで診察して下さった主治医の先生が登場!

「時間遅れてごめんね!」と一言あって優しかった。


先生がマスクやメガネをセットしている間に、

名前を言って、服脱いで、横向きになり、腰から局所麻酔と下半身麻酔を注入。

腰が押されるような痛みは少しあったが、我慢できる程度でした。


仰向けになり、先生方、看護師、麻酔科、僕を含めたその現場全員で

手術内容の確認を実施。

そして、酸素マスク装着。

酸素マスクから麻酔薬が入ってきて、

「眠くなりまーす、眠くなりまーす!」と声かけられて、意識がなくなっていました。

手術受けるまでは、麻酔が効かんかったらどうしよとか思ってたけど、

あの心配は何やったんやろと思うほど、イチコロにポックリいってました。笑


意識なくなってから、すぐに「柴田さーん、終わったよー!」と誰かが言ってる。

聞こえてるけど、ボーッとして声が出せず。でも、ストレッチャーで運ばれている事は

わかった。

途中、両親の声が聞こえてきた。

「がんばったなー、おつかれ!」と。

部屋に戻ってからもボーッとしていたが、徐々に気は戻り、

両親と会話も出来たし、先生からも無事に上手く出来たと聞いて、

ホッとして涙が出てきた。(命あんのに大袈裟ですみません。。)


手術時間:約3時間

麻酔:約4時間。


その後、両親は帰宅。

意識がちゃんと戻ってきた頃には、身体から4本くらい管が繋がっていた。

1. 傷口の血を抜く用

2. 尿管

3. 点滴

4. 下半身麻酔(痛み止め)


両足はエコノミー症候群対策でタイツと左足にポンプを装着。

→血栓ができないようにするために、

 足をマッサージするように膨らんだり、収縮したりして圧をかける。

<イメージ>

その日は、意識が戻ってからは下半身麻酔が効いているせいで、

右足もずっと痺れている状態がめちゃくちゃ気持ち悪くて

(つねっても、叩いても全然痛くない状態)、

熱もあり一晩中寝れず、人生で一番長い夜に感じました。



Shuhey8

Shuhey8's New LIFE(大腿骨頭壊死症の記録)

僕 Shuhey8が患った“特発性大腿骨頭壊死症”の診断に至るまでの事や、手術(後方回転骨切り術)、リハビリ、 その後の生活の記録を趣味の写真も混ぜながら、 奮闘記としてここに綴っていきます。 このブログが同じ病気を診断された人にとって、参考になれば幸いです。

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